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太鼓台倉庫

太鼓台祭りに、かつぎ出される太鼓台(ふとん太鼓)を収納する倉庫が大北、中北、堀之町、西、中、近木、南の7町の町内にあります。他に太鼓台資料館(個人)があり、全国の太鼓台関係の資料を展示しています。
(貝塚市ホームページより転載)

大北町太鼓台

大北町太鼓台

 

宮入り神社 感田神社
制作年 幕末~明治初年頃
大工 絹井嘉七
彫師 高松彦四郎の系統に属する彫師
彫り物 土呂幕の四面が中国明代の長編小説「水滸伝」の荒武者を、緑葛は
「竜宮伝説」等、枡合は楠木多聞丸学問修業場等の太平記の物語が
刻されています。

 

特徴
中北町の太鼓台と共に泉州地方最古の太鼓台です。
製作年代は、幕末から明治初年頃と考えられています。
大工棟梁は、一説に岸和田市の絹屋こと絹井嘉七師といわれていますが明らかでは
ありません。彫物師については、枡合の裏面に「浪花彫物師/高松□□□人一□」の墨書がありますが、高松の下の3文字が解読できず名前は明らかではありません。
中北太鼓の彫物師高松彦四郎の系統に属する彫師と考えられています。
昭和2年に大修理を行っており、天上の巻龍の彫物はこの時に彫物師上間庄平師に
よって刻されたものです。
屋根下の四隅には金糸縫いとりの提灯が下げられています。
平成元年に岸和田市の植山工務店で解体修理が行われています。

 

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近木町太鼓台

近木町太鼓台

 

宮入り神社 感田神社
制作年 大正9年
大工 田端辰次郎
彫師 麻田博、近藤泰山、近藤晃
彫り物 枡合の四面が「神功皇后」、「ヤマタのおろち退治」、「神武天皇
大和平定」、「天の岩戸」、土呂幕と勾欄は「太閤記」、緑葛は
「忠臣蔵」等が刻されています。

 

特徴
特徴大正9年に岸和田市の田端辰次郎が大工棟梁となって新調され、このときの墨引の図といわれる物が残されています。
彫物師の麻田博は、生没年が明らかでなく、大正から昭和にかけて活躍した彫物師と推定されているようです。
昭和57年の大修理に続き、平成18年に植山工務店において25年ぶりの大修理を
おこない、土呂幕彫物・黒檀柱・金物・布団張りなどほとんどを新調し交換されて
います。

 

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中北町太鼓台

中北町太鼓台

 

宮入り神社 感田神社
制作年 幕末~明治初年頃
大工 不明
彫師 高松彦四郎
彫り物 枡合正面「佐久間玄蕃秀吉本陣乱入」、右面「真田幸村大坂入城」、
左面「本能寺の変」、後面「関白秀吉朝鮮使説謁見」、土呂幕の正面
「加藤清正虎退治」等です。

 

特徴
大北町と共に泉州地方最古の太鼓台です。
製作年代については資料が無く明らかでありませんが、幕末から明治の初年頃と考え
られています。
大工棟梁は不明ですが、彫物師は、幕末から明治初年に活躍した高松彦四郎です。
マトイは金糸刺繍の旗で大阪府下唯一と自慢できるものです。
昭和59年に岸和田市土生町の大下工務店で解体修理が行われています。

 

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中町太鼓台

中町太鼓台

 

宮入り神社 感田神社
制作年 平成4年
大工 大下工務店(大下孝治)
彫師 木下賢治
彫り物 枡合が太平記から「楠公桜井の別れ」、「村上義光錦御旗奪返」、
土呂幕の4面は、源平合戦記より「巴御前の勇戦」、「屋島合戦」
等が、天上板には八方睨みの龍が彫刻されています。

 

特徴
明治の中頃に製作されていたと考えられる、先代の太鼓台が小型であったことと、
老朽化したことにより、平成4年に岸和田市の大下工務店製作により新調しました。
二代目の太鼓台は、先代の太鼓台よりも一回り以上も大きくなっています。
感田神社の所在地であり、ハッピには「宮本」の2文字が染め抜かれています。

 

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西町太鼓台

西町太鼓台

 

宮入り神社 感田神社
制作年 大正8年
大工 樫本平吉
彫師 桜井義国
彫り物 正面の枡合が「牛若、弁慶五条大橋出合の場」、後面の枡合が
「神功皇后」、勾欄には「中国の24孝」が刻されています。

 

特徴
大正8年に中町の樫本平吉を大工棟梁として新調されました。
樫本平吉は、明治の左甚五郎と呼ばれた泉北郡忠岡町の大工で、彫物師でもあった
桜井義国の弟子で、義国が自ら墨引きして彫物を手がけた唯一の太鼓台です。
屋根の前後に黒檀を用いた軒唐破風を設け、見事な扇垂木の細工がなされています。
重量のある太鼓台で、黒檀・紫檀の名木が多数用いられています。
昭和58年に岸和田市の植山工務店で解体修理が行われています。

 

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