大阪泉州・貝塚寺内町と紀州街道は・

トップページ > 貝塚寺内町のまちわり

貝塚寺内町のまちわり

絵図

慶安元年(1646)の絵図をはじめ、江戸時代
初期から明治初期までの各時代の絵図が残されており、 昔の寺内町の姿を知ることができます。
寺内町の周辺には、海を除く三方には豪がめぐらされ土居が築かれていました。
今も、感田神社に環濠跡の一部が残されています。
北は北境川、南は清水川が濠の役割を果たしていました。

紀州街道が寺内町の真ん中を走り、北境川と交差する付近に「上方口」、
清水川と交差する付近に「紀州口」という寺内町の出入り口が設けられていました。
紀州口付近は旅籠町と呼ばれ、紀州街道沿いに旅籠屋が軒をつらね、
紀州藩の参勤交代時の宿泊所である本陣が置かれていました。
紀州街道には寺内の北と南に大きな枡形が設けられ、南には更に1つ小さな枡形が設けられていました。


絵図

旧国道26号と中ノ町通りの整備によって、寺内町は4つのゾーンに分かれましたが、 その他については、一部、拡幅した道路等はあるものの、寺内町当時のまちわりがよく残されています。

このページの先頭へ