大阪泉州・貝塚寺内町と紀州街道は・

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貝塚寺内町のなりたち

貝塚寺内町のなりたち 歴史イメージ

寺内町とは、戦国時代に畿内を中心に、寺院を中核として計画的につくられた宗教自治都市です。

貝塚寺内町は、貝塚御坊願泉寺を中心に発達した寺内町です。
古くは麻生郷海塚村に属し、もとの集落は紀州街道沿いの低地にあったと推定され、室町時代末期に寺内町として建設されました。

織田信長の時代には、和泉国の一揆衆が結集する場となり、天正5年(1577)に信長軍の攻撃を受けました。
豊臣秀吉の時代には、天正11年(1583)から2年余りは浄土真宗の本山である本願寺が置かれ、その寺内町として一層の発展をとげました。
江戸時代には、願泉寺住職卜半家を領主(地頭)とする諸役免許の地「貝塚ト半寺内」として、さまざまな商工業が発展しました。

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